パラリンピック閉会式で感じた違和感
尊厳、というテーマを軸に思う事を書き続けています。
リオパラリンピック閉会式、
POSITIVE SWITCH
"障害を持つ事が新しい可能性への始まりだ"
そんなメッセージと共に、障害をポジティブに捉える事がパフォーマンスを通して表現されていたと思います。
GIMICOさんの立ち振る舞いはスタイリュッシュであり魅惑的であり、大前光市さんのダンスも唯一無二である事に違いなく、ブレードランナーの様な近未来が見えたし、可能性の広がる近未来の日常の混沌に想像が巡らされて高揚しました。
でも、違和感を感じました。
パフォーマンス中、
健常者が障害者を見守るのではなく、
健常者が自然に健常者としての可能性を存分に発揮してこそ、
垣根の無い自然な融合が起きていくのではないか?
そんな事を考えました。
尊厳を叫ぶ心は何も健常者と変わらない。
オリンピック選手でもない自分、パラリンピック選手でもない自分、ただただ健常者としてここにいる自分は、
社会に出て生きる為に、
何かひとつ認めてもらう為に、
どれだけ社会から自分を見つめて削ぎ落とす事が出来ているのだろうか。
そんな自分への問いかけが起こりました。
自分自身を知り、認めて、人に認められる事が最終的に自分の個性を最大限活かしきる事だった。
そんな本当の自分を知る尊厳を、この尊厳オリンピックの活動の中でも突き詰めていきたいと思います。
目の見えない檜山晃さんの言葉には、記憶に擦れてしまいがちな"香り"としての街の記憶を、改めて思い起こさせてくれるキッカケをもらったと思います。
原宿駅を降りて香る明治神宮の緑が東京の夏の記憶だなんて、なんとも素敵です。
盲目の親友が秋葉原の駅を降りて、すぐにまだ見えない道向こうのマクドナルドの店舗がある事を教えてくれた事を思い出しました。笑
感覚と自分、
社会と自分、
その関係性に真剣になる。
そんな事を教えて頂きました。